松本城忍衆 烏-KARASU-



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飯田城奇襲防衛戦 隠密“小笠原 秀”誕生(1603年)

飯田城城主・小笠原秀政、その正室・登久姫と共に飯田城にいたのが小笠原 秀(しゅう)。
武士の家系である秀は、当時、宗弥(しゅうや)と名乗っていた。

1603年3月、このとき登久姫は病に伏していたが、徳川家康が征夷大将軍に任命されると、城主・秀政は兵と共に江戸城へと赴いた。
しかし、城と登久姫の警護のために、秀政は数名の兵を城に残していた。

飯田城が奇襲されたのはその時である。

城の周りには500を超える兵、対して飯田城の兵士は30名足らず。誰の目にも絶望的な状況であった。
しかしこの圧倒的な戦力差を前に、ただ一人勇猛果敢に真っ向から戦いを挑む者がいた。

それが元服したばかりの小笠原 宗弥と名乗る少年、後の秀である。
宗弥は武士の家系であったが幼い頃に父を不条理な死で亡くし、周りの猛反対を押し切って忍びとしての道を目指していた。

宗弥は周りの静止を振り切って父の形見でもあり、小笠原家に代々伝わる愛刀を手に飛び出した。
これには降伏を確信していた敵兵も不意をつかれたが、相手まだ年端の行かない少年一人であることに嘲笑した。

そんなとき、宗弥の目の色が変わった。
所持していた刀が突如巨大化し、その場にいた誰もが恐怖で身動き一つとれないほど禍々しい殺気が解き放たれた。


秘術【三階菱(さんがいびし)】である。

宗弥はわずかな時間でその場にいた500を超える兵を、たった一人で一人たりとも逃がすことなく討ち取った。
飯田城の周囲は地獄絵図とも化していたが、城壁には返り血一つ付着していなかったという。

その後、城に戻った秀政から報酬として、隠密としての正式な認可と、秀政の名から【秀】の一字を賜り、それから宗弥は「秀(しゅう)」と名乗るようになる。
ちなみに秀が身につけているトレードマークのチェック柄のスカーフは、城を守ってくれたお礼と、隠密認可のお祝いとして登久姫から賜った物である。

※すべてフィクションです。

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