秀と樹との組手の立ち会いを途中で切り上げた氷冷は楓を探していた。
楓は服部半蔵の来訪後からすっかり元気をなくしており、それを心配してのことだった。
氷冷はその外見と不器用な言動から非情で冷たい人間と思われがちだが、実は玄斎に負けず劣らず情に厚いところがある。
楓の居場所に心当たりがあった氷冷は、すぐに楓を見つけた。
楓は1本の木に向かい、こちらに背を向けてしゃがみこでいた。
「楓。」
氷冷が声をかけると、楓は氷冷の気配に気づかなかったのか、ビクッと身体を震わせ振り向いた。
「あ…氷冷姉。」
「お前が人の気配に気付かないとは珍しいな。」
「へ、へへ…、秀たちの試合は終わったの?」
楓は笑ってはぐらかしたつもりだが、その笑顔はあからさまに元気がなかった。
「いや、まだやってはいるが見る価値もない。ひどいものだ。」
「え?そうなの?」
「で、お前はどうしたというんだ。半蔵様は何と?」
「あ、あはは、えーっと…」というと、少し困ったように言葉をつまらせた。
氷冷は楓を落ち着かせるため、ゆっくりと木に近づき楓の隣に座った。
「…んとね、御魂(みたま)に迷いを感じるんだって。」
御魂とは字のごとく人の魂のことであるが、こと忍びにとっては術を司る源でもある。
御魂には遺伝的要素や個の素質により、生まれ持った才能が宿っている。
「御魂に迷い、か。あの[虎嵐(コガラシ)]だけでそこまで見抜けるとは。」
「うん。最前線を守るにはふさわしくないって。あたしどうしたらいいのかなぁ…。」
しゃがみこんでいた楓はぺたんとその場に座り込んでうなだれた。
「さすが半蔵様だ。」
それを聞いて楓は「はぁ〜…。」と大きなため息をついた。
「いいか楓。御魂に迷いがあるというのは御魂の持つ才能が自身の行いと合致していないことを示すことが多い。
だが忍術に才能がない者は、お前ほど術を覚えることは不可能だ。
」
「…うん。玄斎先生もそう言ってた。」
「つまり半蔵様は術の内容について仰っているんだ。
お前は術をより多く会得することに気を取られすぎて、1つ1つの術を昇華させる修行を怠っていたのではないか?」
楓は「えっ?」っと驚いたような表情で氷冷の目を見つめた。
確かに楓は術を会得した喜びで満足し、次の術に移ってしまうところがあった。
忍衆の中で楓を一番近くで見守っていた氷冷にしかわからないことである。
「御魂は誰もが持つものだ。しかしその性質はそれぞれ違う。忍術においてはその性質が得意忍術に大きく関わってくる。だがお前は、お前の御魂はまだその性質にさえ気付けないでいる。」
氷冷は真剣な眼差しで楓に語りかけている。
「性質か…。ねぇ、氷冷姉。御魂の性質ってどうしたらわかるの?もし氷冷姉があたしだったらどうする?」
楓の問いかけに氷冷は目を逸らし、「気付くしかないな。それに私は楓じゃない。」と冷たく言った。
うつむきながら、「そう…だよね。」と答える楓に、氷冷はうっすらと笑みを浮かべながら口を開いた。
「私も昔は劣等生でな。何でも卒なくこなす美影が羨ましかった。」
「え、そうなの!?」
楓にとってはものすごい衝撃だったことだろう。
今の氷冷を見れば誰もが優等生の部類だと疑わないからだ。
「お前はどちらかといえば美影によく似ている。術の覚えも早く、瞬時に相応の術を発動できる。
だが私の両親は忍術が得意な方ではなかったからな。お前や美影ほど才能もないはずだ。」
「そんなの嘘だよ!だってあたしより氷冷姉の方が…!」
「だから私は、水を選んだ。」
「…え?」
元々話の苦手な氷冷ではあるが、その言葉一つ一つを楓は一生懸命理解しようとしていた。
「選んだって…どういうこと?」
「私の御魂が水と相性が良いことに気付かせてくれた人がいたんだ。
まだ幼かったが水属性の術だけはその他の術に比べて精度が高かったらしい。
それを教えてくれたのが、堀田咲葉(さくは)先生。お前の母親だ。
」
そういうと氷冷は過去を懐かしむようにふっと笑い、楓は「はっ」と声にならない声をあげた。
「だから私は水を選んだ。水だけを選んだ。水属性以外の術を全て封じた。水属性以外の術は使わない。使えなくても構わない。だから水属性の術だけは誰にも負けたくないと強く思った。その一心だったな。」
「そうだったんだ…」
「それからだな。うまく言えないが、御魂自身が水に対して確信を得た気がした。」
楓は静かに氷冷の話を聞いている。
「楓、私がこれから水属性以外の術を使用した場合、どうなると思う?」
氷冷の突然の問いかけに楓はちょっと戸惑いながら、「えっと…失敗する?」と応えた。
「だろうな。だが大事なのはそこじゃない。
いや、試したことはないが、恐らく今後の水属性の精度が格段に下がる。」
「え、水属性が!?」
「ああ、御魂はとても素直で繊細だ。他の術を使用することによって御魂に迷いが生じるかもしれない。」
そういうと、楓は「あっ!!」と声を上げた。
「御魂が!迷う!!」
「わかるか?」
「そっか。じゃああたしは色んな術覚えすぎちゃって御魂がわけわかんなくなっちゃったってこと?」
「いや、そうとも限らない。お前が仮に特定の属性に限らず美影の具現術ように固有な術の才能があった場合、どんな属性の術を使っても御魂は迷うことはないだろう。現に私と違ってどんな属性の術も発動自体は成功している。 それに私の知る限り、楓ほど忍術をたくさん操れる忍びはいない。焦らず一つ一つの術を昇華することだな。」
「え?そ、そっかぁ…。でもそれじゃあしばらく迷ったまんまだね。私の御魂、何が得意なんだろう…」
楓はちょっと照れたようにそういった。
「お前の御魂はどうか知らないが、楓自身はもう気付いていると思うけどな。」
そう言うと氷冷はゆっくりと立ち上がった。それを見て楓は慌てたように「え?何を?」と顔を上げた。
「私が楓ならと言ったな。私ならきっと、風を選ぶ。」
そう言って氷冷は楓の元を去っていった。楓はポカンとしたまま氷冷の後ろ姿を目で追っていた。
「風…?」
氷冷がなぜ最後に楓の属性にヒントを与えたのかはわからない。
だがそれは、自分に水属性の才能があると気付かせてくれた楓の母、咲葉への恩返しだったのかもしれない。
※すべてフィクションです。